始まりの個人リーディング(No.1040)

私(ブログ主)が1995年に初めて浅野信先生のリーディングを受けた際の、リーディング全文を公開させていただきます。
浅野先生のリーディングは「ヨハネ・ペヌエル・リーディング」と名付けられており、これまで16,000件以上が行われ、全て記録されてきています。

このNo.1040のリーディングは、私にとって非常に学ばされたところの大きかった、大変大切なものです。まだ23歳で若かった私は、このリーディングでのアドバイスで、自己認識を深め、適切なバランスを取ることなどを覚え始めました。また、この後の人生の様々な局面で、一つ一つの言葉が、私を助け導いてくださったものでした。

これまで25年間、知り合いの方にしかお見せしてきていませんでしたが、もう四半世紀も経ちましたので、公開させていただこうと思います。私個人へのメッセージでしたが、普遍的な内容も随所に見られます。もしどなたかの参考になるならば幸いです。[以下、全文引用]

No.1040 ヨハネ・リーディング

1995年8月23日

質問1:私の過去生を知りたく思います。

ソース:エジプトにおいて、かなり行に励んだ人です。その時の成果が今、少しずつ実りをもたらしつつあるというところです。考えてみれば、今、欧米をはじめ、日本を含めて、自己啓発セミナーの講師やトレーナーは、その大半が古代エジプトの神官たちの生まれ変わりです。もちろん、皆がそうであるとは限りません。今の時代は、様々な時代や霊的系譜から流れてきている、総合的な時代だからです。 

 エジプトの前は、アトランティスです。アトランティスでは、文芸愛好家でした。割と多趣味な人でした。アトランティスに於いては、陶芸や陶器と関わりがありました。アトランティス時代は、自然の素材を活かして、今で言うところのセラミックのような素材を、もう少し天然加工したもので造られていたのです。アトランティスと言うと、すぐ、物質文明や機械文明をイメージする人が多いのですが、実際はもう少しシンプルで、清楚で、あるいは簡素だったのです。
 90年代に至って、アトランティスのレベルへとようやく到達し、その当時のレベルを取り戻しつつあるところです。と言っても、アトランティス時代は、やはり太古の文明であり、今のテクノロジーよりももっと簡素で、自然に根ざしたものだったのです。あなたはそのアトランティス時代には、いわば陶芸家であり、興味の対象としては、家具、調度品などに向けられていました。文芸、広くは文化に関心があったのです。
 しかしあなたは、その文化を創り出しているところの人について、だんだん関心が高まってきました。当初は文化の方に関心があったのです。でも文化の方をずっと突き詰めていくと、様々な魅惑的文化を生み出す母体となったのは、やはり生身の人間のはずです。あなたはそこに思い至った時に、人間の奥深さや不可思議さということに思い至ったのです。特に人間の中の意識の広がり、その可能性ということに、アトランティスの人生の終わりの頃に、ようやく到達するに至りました。
 このように、最初は文化、特に文芸、取り分けあなたの手仕事である陶器造りから入って、生きた人間の中の意識の広がりや可能性について、とても興味を持つに至ったのです。その人生を踏まえて、エジプトへと転生していったのです。そして先ほど語ったような、非常に行に励む人となったのです。アトランティス時代の記憶がまだ残っていたので、人間の意識の探求に精を出していたのです。
 最初は、もうとにかく一生懸命に意識の世界へと入り込んでいくといった風でした。そしてそれなりの成果を修めました。色んなところに出向いていっては、トレーニングを受けたり、研修を受けたりして、自分の研鑽に努め、励んでいたのです。けれどもある程度やってみると、どうにも自分で歯がゆい想いをしたり、あるいは一方で物足りない不足感というものが、どうしても残るのです。それで、一時スランプの様な状態に陥って、その世界を離れようと思いました。それからは旅に出ました。そしてできるだけ見聞を広めようとして、ナイル川を上ったり降ったりして、色んな人々に出会うことが、あなたの楽しみとなりました。
 考えてみれば、アトランティス時代に、あなたは人間から始まったのではなく、元々文化の魅惑する魅力というのから出発していたはずだということに、いつしか旅を続けている途中に気づいたのです。自分はなぜ人間の意識に心が向かったのか、その由来をあなたは探り求めるための旅だったのです。それからあなたはもう少し自由になりました。そして人間の意識にとらわれなくなりました。そしてそうなると、かえってスムーズに進展を見るようになり、自由に楽に楽しく、人間について、更に広くは文化について楽しく研究することができるようになったのです。
 今回の人生に於いては、あなたはこの視点を失ってはいけません。ともすると、あなたは人間の意識の魅惑的な世界に没入しようとするところがあります。それでも尚、あなたはその時に、充分に充足することができない自分を見いだしてきています。それは、アトランティスからエジプトにかけてのこういった経緯があったということです。それをあなたが今確認することが、今後あなたが正しい方に自分を方向付けする上に於いて、とても大切なのです。
 今回の人生の経緯も、比較的このアトランティスからエジプトへという、あなたの個人の魂の歴史の流れと、パラレルのところがあるからです。常に、「自分はどうなのか、自分はどうすればいいのか」という主観的な視座が大切なのです。それが客観的な視座とどう交差してきているか、というのを見ていくと正しいスタンス作りに有効です。人は決して主観的な方にも、客観的な方にも偏ってはいけないのです。アンバランスを来すし、真実を見失いがちになるからです。一生懸命励めば励むほど、何か道から外れてきて、本来の自分の意向と食い違ってくるように感じるときは、特にそのようなときです。
 あなたがエジプトで、いきなり意識の世界に飛び込んで、しばらくやって感じたのが、これだったのです。これからあなたが励んでいく際に、このことを必要に応じて思い出すことは、正しい旅を続けていく上で、必要なポイントなのです。そのことが分かってからあなたはとても自由で、気ままでとらわれのない、喜びの人となりました。その上で、かつての仲間達を見てみると、あなたが陥った罠にはまりこんでいる人が大勢見受けられました。彼等は狂信的に見えたのです。かつての自分もそうだから、なおのことよく彼等のことが分かるし、見えるのです。
 それからあなたは彼等の助け手となって、相談に応じて、彼等の心を解放してあげる仕事をするようになりました。自分で求めたというより、相手の方から求められるままに、気づいてみたらその役目を担っていたというところです。今回の人生においても、あなたは似たような役目を担わされるでしょう。天から担わされるでしょう。そしてあなたはそれを、とても喜びと感ずるでしょう。

 続いて、ギリシャ・ローマの文明期にあなたの人生を見いだすことができます。とても愉快で朗らかな人でした。歌を歌ったり、友達とゲームをして楽しんだり、人との交流が趣味であったり、魚釣りのようなものをして遊んだり、といった青少年時代を過ごしました。イスラエルの方では、クリスチャンのユダヤ人達が、聖地を追われて、小アジアからギリシャ、更にローマ、今のスペインへと入ってきました。あなたはちょうど思春期の多感な頃でしたので、それに多大の影響を受けました。
 キリスト時代からすでに、イスラエルというローマ帝国の領地との交流はあったのです。従って、別にクリスチャン達が入ってきて、初めてそのことにあなた方は気づかされたわけではなく、もっとそれ以前からキリスト時代に於いて、さらにはディアスポラのユダヤ人達が、ヨーロッパと呼ばれる様になった地域に入って来たときからも、交流はあったのです。それで、あなたの家庭環境にしても、周りの生活環境を含めて、そのようなことへの認識はあったのです。ただこの子どものことで、あなたにはその自覚はあまりなかっただけのことです。ともかくあなたは長じて、音楽がもともと好きでしたので、文芸から入っていき、思想や哲学、宗教文学などに関心を持つようになりました。
 ギリシャのアテネでは、今で言うカウンセリングの学校のような所もあって、そこで人間の心の交流ということから何が生ずるか、という主に応用面での工夫が為されていました。クリスチャン達が入ってきてからは、ギリシャの思想との対決があり、それが一つの起爆剤となって、嫌でもギリシャやローマの宗教や哲学は変容を余儀なくされたのです。あなたにとってそれはとても面白いものであり、興味のあるものでした。それであなたはその辺の所に関わっていくようになりました。
 もともとあなたは、特にユダヤ人ということではなく、広い意味でのローマ人でしたので、もっと厳密に言えば、ギリシャの方の血を引く者でしたので、何ら捕らわれるものはなかったのです。とにかく興味の赴くまま、色々なものを学んでいたのです。ただ当時からの反省として、色々手掛けたけれども、何か不徹底のまま終わったという虚しさが、あなたの中に残されています。今回の人生においては、あなたが確信を持ったものを貫くようにして下さい。そして達成するのです。その時にあなたは、自信が持てるようになるし、その達成した時の手応えが、あなた自身を取り戻させ、人生を生ききったという喜びに漲るだろうからです。
 ローマ帝国の人生においては、色々なことを見聞きし、楽しく過ごしもしましたけれども、なにか虻蜂取らずと言うか、どれも皆中途半端で中座してしまったと言うことで、虚しさや挫折感のようなものが残りました。今回の人生においては、何か一つに決めたら、それを貫くのです。そして、やることには責任を持つのです。自分で決断し、行動に移し、その決断や行動に対しては、自ら責任を負うという気概心があなたの中に生じたときに、初めてあなたは自分を実感することでしょう。そしてその時に、あなたの魅力が発増し始めて、周りの人の心を打ち始め、本当にあなたの良さが発揮されて、多くの人に希望や喜びを与えられる人となるのです。
 今回の人生においても、すでにあなたは何か焦りのようなものを感じ始めています。それは、「今回の人生では何か一つは成し遂げねば、貫かねば!」という想いから来るものです。そして、その原因となるものは、ローマ帝国での人生において、あなたが花から花へと飛び回る蝶の様に気分で動いて、あまり責任感を感ぜず、気楽に飛び回っていたときの人生から来るものです。
 もちろんそのようなプロセスの中でも、得るものは多かったのです。特にその端的なものは、クリスチャン達との交流です。あなたが今、子供たちとの交流の中で、自分を献身させる事ができるのは、このキリストの、子供たちを尊び、愛し、子供たちの中に模範を見る、という態度が、クリスチャン達との交流の中で、当時あなたの中に入ってきたものなのです。
 それは、ギリシャの思想にとって、驚天動地の捉え方だったのです。大人になるにつれ成熟し、人は上等な存在になる。それは正しいことは正しいのです。でも、それが全ての真理ではなかったのです。同時に一方で、大人になるにつれ、失っていくものがあり、どこかで退化していっている面がなかったか、というキリストの視点は、とてもギリシャの思想家達にとっては困ったことだったのです。都合が悪かったからです。またそれにすぐ順応できない大人になっている自分たちだったからです。
 あなたは比較的若い時期からその感化を受けていたし、もともと柔軟な魂でしたので、すぐそれに馴染めたのです。今回の人生において、あなたは多くの人たちにそのことを身をもって伝えていく使命があります。と言いますのも、キリスト時代と同様、この現代においても、多くの人達が、特に教育の分野で、幼稚園児よりも小学生の児童。そしてそれよりも、中学や高校の生徒。さらには大学の学生、そして大学院と進級するに伴い、より学力のレベルが向上し、人間的にも優れるようになる。と言うことは、裏を返して言えば、大学生より高校生の方が劣等であり、高校生より小学生、そして幼稚園児は最も劣悪であり、未熟でどうしようもない、というのを暗に仄めかしている所があるからです。
 このように、時間軸で見る場合はもちろん、他に現代教育の難点として、例えば中学の2年の時点だけを切って捉えてみても、クラス40名のうち、テストの点数が30点の者より50点の者。50点の者より70点の者。更には90点の者が優れていて価値がある、という捉え方です。裏を返せば、「30点の者は価値がない。役立たずであり、いない方がいい。」という極論になります。いわゆる偏差値教育です。ある一面の才能や、人間的価値を計ることは確かにできているでしょう。でもそれで全てを割り切ると、もっと大切で本質的な何かが、そこから欠落してしまったのです。
 キリストが、ローマ帝国において、辺境の地で「幼子の如くなりなさい。」と言われたのは、ローマの教育や法律制度に関する、いわば爆弾発言だったのです。今の時代、あなたはそれを、あなたのやり方で伝えていくでしょう。あなたならば、くどい説法風になることはないでしょう。なぜなら、あなたの良さは、理屈っぽくなくて、さりげないというところだからです。
 進化しているような時、実は最も退化していたり、逆に一番足踏みして留まっているようなとき、一番、目に見えないところで成長し、進化しているということはないでしょうか?あなたは人々に喜びを伝え、希望や夢を持つことの大切さを認識させるために生まれてきました。知られているとおり、人は食うために生きているわけではないのです。食べることは目的ではなく、使命を生きた結果として食べられるまでのことです。人は実存的な存在なのです。ただ生きているのではないのです。生きていることに意味を見いだし、人の価値を感じられる時に、キリストの愛というものが分かり始めます。人には理想というものがあるからこそ、人なのです。でなければ動物の延長でしょう。
 あなたは、現代が失いつつあるところの、最も大切なものを、取り戻すためにやってきた一人です。あなたの中にそれが秘められているのです。そして、それがあなたのローマ帝国の時代に培った、あなたの宝なのです。今回、それを他の人々と分かち合って下さい。

 その後はもちろん、東洋での輪廻転生も幾度かありました。
 日本では少なくとも、2~3度の転生はあったのです。例えば鎌倉時代です。鎌倉幕府はあなたにとって、あまり好きなものではありませんでした。権威的だし、窮屈だし、闘いのイメージがあったからです。武具で身を固めるというのは、あなたのイメージにとってはあまり好ましいものではありませんでした。どこかあなたの中に、今でも反骨精神が伺えるのは、その故です。
 一応、商人をやっておったのですが、あまり商人らしくない商人でした。絵を描いたり、人と語り合ったりが好きでした。それで人からは遊び人と見られたり、趣味の人と見られたり、わがままで気分屋で、気まぐれであるといわれていたのです。しかし、それをあなたが悪びれずに平気でいるところが、またあなたの凄さというか、良さでもあるのです。と言いますのは、多くの人達はすぐ、他からどう見られているかで自分の言動を決めてしまうというか、影響を受けてしまうところが多分にあるからです。あなたはあまり影響を受けない方です。

 一番、他からの影響を受けなかった典型的な人物、それは多分イエス・キリストという人物だったでありましょう。自分で自分の言動を決める、その代わり100%責任をとる。その時に真のカリスマ性が発揮されてきます。似たような人達は大勢いることはいます。例えば宗教の教祖さんと呼ばれる人達です。ただ彼等の大半は、他からの言動を受けていないようで、実は一番影響を受けていて、受けてはいないと思い込んでいる。その罠にはまっている人が多いものです。そしてそれ以上に難点は、自分の言動に責任を持たないというところです。でもそのような人も、今成長の途上にあります。いずれそのようなところを経て、だんだん学んで向上してゆくのでしょう。
 あなたは「いっこうに平気。」というところがあります。またそこがあなたの魅力でもあるのです。そして鎌倉時代はそんな人でした。ただ、仕事の面ではあまり成果をあげられなかったのです。割と好き嫌いがあって、表面で判断するところがあったからです。どこか、雰囲気やムードに流されるところがあったのです。ただあなたの良さは、多くの人を喜ばせ、激励させ、夢と希望の大切さ、そして自由の尊さ、というのを分からせてあげるところだったのです。
 それはあなたがいるだけで、周りがぱっと明るくなったり、元気になったり、夢の尊さを思い出させるという、不思議な存在だったからです。今でもその様な面が多分にあります。その面は、是非活かしていくようにして下さい。

 最近の人生では、ヨーロッパに生きていた時のものがあります。オーストリアからスイス、更には今で言うドイツの辺りにかけての地域です。教育や、今で言う心理学、あるいは神秘学のようなことに傾倒していました。色んなところに顔を出すのが好きでした。そして色んな人との出会いがありました。今回も、色んな人との出会いがあるでしょう。いや、すでにあります。

質問2:私のカルマを知りたく思います。

ソース:特に何か過去生において、悪いことをしたとか、贖うべき罪があるとかいうことは見いだされません。というか、仮にあったとしても、気にするには及びません。それも進化の路程表の一つだからです。人は失敗を犯して初めて学べるものがあるものです。失敗というのは、いわば代償のようなものです。「この失敗をしないと、このレッスンが学べない、そしてこの資質が育たない」ということが確かにあります。この失敗を通して初めて培われる資質というのが必ずあるものです。その為にこそ、肉をまとって人は生まれてくるのです。
 もしそのようなミスを犯さないという完全主義者のような人がいるとしたら、最初から生まれ変わってこなければいいのです。そうしたらその人は、ずっと足踏み状態で、成長することは難しいでしょう。人生経験を通して、初めて、「何が良いか、何がまずいか」ということが身をもって知らされ、それを通して人は教訓が身になるのです。そしてだんだん成熟してくるものです。
 あなたの場合、経験の量は多かったのです。カルマというものがあなたにあるとしたら、割と経験は多かったのですが、空回りのことが多かったという傾向はあるでしょう。それはあなたが良く熟慮しない、内省しない、というところから来ます。それから悪気はないのですが、責任感があまりないこと。それで何となく上滑りで来てしまう、というところです。良くも悪くもあなたには深刻さがありません。だから気楽で、人からとても接しやすい人です。ただ、割と奥深いものを求めている人にとって、あなたは多少物足りないように感じるかもしれません。でも本当に暗くて、沈んで、もうどうしようもない人にとって、あなたはとても救いをもたらす人なのです。
 「他からどう受け止められるか」ということをあなたが知るのは、今後のあなたにとても為になります。と言いますのも、あなたはこのようなことに、割と無頓着だったし、余り気づきがなかったからです。それで、やるにはやっても割と空回りが多かった。せっかく経験を積んでも成長があまりなかった、というところです。あなたは生来、無邪気で嘘偽りが下手な人です。いつも思ったことをぱっと口に出したり、もうその時の気分で衝動的に行動に走ったりします。あとはケロッとしています。子どものような所があります。またそれがあなたの良さでもあるのです。ただ、過去生からあなたは気分屋であるとか、わがままであるとか、責任感がないとか、そのようにある意味で誤解されてきて、損をしているところが多分にあるのです。そのような傾向自体は良いのですが、あなたがそれを自覚して、その傾向をもっと上手に生かせば、あなたはもっとみんなの為に役に立つ人と成れるのです。そしてそうなれば、みんなの感謝や喜びが自動的にあなたの元に返ってきて、あなたはもっと充実感を味わえるようになり、本当に感謝や喜びというものを感じられる人になれるのです。そこは何か損をしてきたようなところが伺えるのです。
 カルマといえば、強いて言えば、自分の言動に対して責任を余りとってこなかったというところでしょう。あなたは余り責任という重いものは性に合わない人だったのです。だから割と回避してきました。今回は自分の言動に責任をとるために生まれてきました。と言っても、別に深刻に受け止める必要はありません。あなたなりのものを見いだしていけばよいだけのことです。でないと、あなたの良さが生きてこないからです。
 あとはやはり、割と長続きしない気分屋であるというところから、幾つかのカルマを作ってきています。表面で判断したりして、好き嫌いで動いて、嫌なものは嫌ということで、それはいいのですが、それを排除したりしたときが、あなたがマイナスに出た時です。その辺の所にあなたが気づけば、同じその傾向をもっと良く作用させることが出来るでしょう。そしたらあなた特有の虚しさや気分のムラというものが、ずっと少なくなってきて、本当にあなたらしい、楽で気楽で楽しく自由に生きられる様になり、ますますあなたの魅力は輝きを放つようになります。

質問3:今回の人生の使命を知りたく思います。

ソース:人にとっていかに希望や夢が支えとなっているか、ということを人々に思い出させるために、あなたはいます。あなたという存在は、人々の心の中に元々あるはずのところの、理想というものを喚起させることです。人がなぜ生きていられるかといいますと、夢を持っているからです。あるいは霊的な目標があるからです。でなければ生きていられないのが人間です。誰でも、必ずその様なものがあります。そしてそれがある時に、人は最も輝きます。
 なぜ人がカルマを作るかと言いますと、違った理想を持つと言動が皆狂ってきて、それらを通してカルマが生ずるのです。逆に、正しい理想を持っている人は、自ずから正しい言動に、そして正しい動機付けに支えられた思考や感情が伴いますので、カルマとならないのです。考えてみれば、この正しい理想を抱くというのを「一神教」と言いますし、間違った理想のことを「偶像」と言って、「偶像を廃しなさい、偶像崇拝はいけません」と言ってきたのです。
 広い意味での本来の宗教というのは、この様なものです。政治の世界でも、たとえばマルクス主義も偶像崇拝なのかもしれません。見かけで判断してはならないのです。形の上で宗教の形態をとっているとか、政治とか、イデオロギーであるとか、ある哲学とか思想であるとか、教育理念であるとか、形や形式に目を奪われてはいけません。それらは精神的次元では、皆宗教なのです。イエスが言わんとしていた「偶像を、皆きれいにする」というのは、そのことだったのです。商売やビジネスにしても、偶像崇拝が蔓延してきているのかもしれません。
 あなたはそれをきれいにするために生まれてきました。それは人の心の魂をお洗濯してあげることです。結果的に癒しを伴います。あなたは「新しい教育」ということを、自ら実践するお手本となるために生まれてきました。あなたの使命は、広い意味での、広いというか、本当の意味における教育を実践するところにあります。新しいカウンセリングの手法や、癒しの道を、あなたは「真のキリストの愛」ということで実践して行くでしょう。
 あなたの良さは、色んな人の心をパッと明るくして、落ち込んでいる人が非常に楽しくなってくる、ということをあなたの波動は放っているところにあります。案外、人というのは自分のことを一番知らないものです。目が外を向いているからです。あなたもどこかまだ、自分を充分に捉えていないところがあります。自分を正確に把握して、上手に生かして下さい。
 あなたは目上というか、経験を積んだ影響力のある人から好かれる、引き立てを受けるというものを持っています。それは、あなたが無邪気で正直で朗らかで、そして奉仕的で明るいからです。素直だからです。それであなたは道が開かれてくるでしょう。捕らわれないところがあなたの良さなのです。また重くないところが良さです。あなたは多くの人の意識を高揚する事が出来ます。そして多くの人に夢を思い出させてあげることが出来ます。たいていの人は、子どもの頃からの念願とか、夢とか、心からの願いとかを抱いて来ています。そしてそれに従っていない生活や仕事をしている人は、ストレスが溜まり、とても辛い思いをしてきています。それを解きほぐしてあげて、その人の夢を思い出させ、夢を生きるように導いてあげるのが、あなたの役目です。あなた自身が、ひょっとしたら皆にとっての夢そのものになるのかもしれません。
 あなたは何とか生きていける、という不思議なところがあります。気分のムラを克服できれば、あなたの良さは持続するでしょう。そして生活も安定するでしょう。しかし自分を縛れということではありません。あなたの良さを残しながら、そのようにするということです。あなたはあなたです。他の人のようになろうと努めるには及びません。それはあなたらしくありません。あなたに合っていません。他の人のようになろうとするようにも、あなたのようにむしろなって下さい。たとえどんなに素晴らしい人であろうとも、その人を演じようとするときに、カルマが生じます。
 本当の自分を生き始めるときに、カルマは解け始めるのです。それをみんなに分からせるためにあなたはいます。あなたの生き様そのものが、周りの人に、自分に立ち返ることを思い起こさせるのかもしれません。職業としては、やはり、広い意味での教育方面、もう少し具体的に言えば、新しい時代を切り開くカウンセリングとか、癒しの方面であることは確かです。それはあなたが知っている通りであり、それに間違いはないのです。
 このリーディングは、そのことを確認する目的で行われているからです。

質問4:私の才能を知りたく思います。

ソース:捕われないということです。それをマイナス的に表現すれば忍耐力がないということです。今まで世間ではなんと多くの宗教家や心理療法家たちが、あるいは教育者たちが、マイナス方面からその人を言い続けてきたことでしょう。短所とは何でしょう?それはまだ活かしていない長所のことです。では長所というのは何でしょう?すでに活かし始めているところの短所のことです。短所の他に長所があるわけではありません。2枚のカードが手元にあるのではないのです。ただ1枚のカードを手にしているだけなのです。そしてその1枚のカードの表は白、裏は黒、表には「長所」と書かれており、裏には「短所」と書かれている同じカードなのです。 長所というのは短所を待って、初めて出てきます。短所というのは愛のことです。短所に支えられて、初めて長所が発揮されるし、活かされるものです。短所はその意味でカルマのようなものであり、養分なのです。だいたい短所もないような人は大した人ではないのです。短所というのはエネルギーのことだからです。水のようなものです。川の水もせき止めれば淀んできます。そのような水にたとえられるエネルギーの流れ出、よどんだところが短所として表れ出ているに過ぎません。絶対的な短所など、最初からないのです。最初は全部、本来長所なのです。水が全部本来清らかであるように。空気にしても同様です。きれいな空気と汚い空気などないでしょう。空気はただ空気です。淀んだ空気は、ただ淀んだところの空気というに過ぎません。そしたらきれいにすればいいまでのことです。きれいな空気と淀んだ空気、2種類の空気があるわけがないのです。長所と短所もそうです。長所と短所を分けて、短所を否定し、改めるべきである、それは上手くいかないのです。あなたはその辺のところが自然に身についてわかっています。ONE的なのです。気楽だからです。それをあなたは身をもって生きている、数少ない一人なのかもしれません。それであなたは、あなたを生きるでしょう。

質問5:私の恋人、Aさんと、私の間の関係性のカルマを知りたく思います。

ソース:自分を知るための機会です。あなたと非常に相似性を感じさせます。相似通っているのです。いわゆる恋人のような感じは受けません。どちらかというと友達、いや友達というより姉と弟、がもっとそれに近いといえます。でもそれでもまだ厳密ではありません。さらに正確を期すると、魂の兄弟とでもいいましょうか、そのような同じ魂のベースに置かれた二人であることを感じます。何かお互いに相通ずるものがあるというのが、お互いの結びつきとなっています。何か分かりあえる、通じあえる、そのようなものが二人を結び付けているということです。
 あなたもそのような実感をとても彼女に対して感じているのです。あなたはどちらかというと、そのような想いをあまり感じる方ではありません。割といろんな人と合わせられるし、友達も多いほうです。人からも好かれる人です。割と愛嬌があって、人気者の方です。それでも何かあなたは、十分に人の中に入って行かないところがあります。別に警戒しているわけではなく、うっとうしいというのと、面倒くさいというのがあなたの中にあるからです。
 でも彼女だけは例外です。数少ない、あなたが心を通じ合えるという実感を感じさせる人の一人なのです。本当に心から愛し合っている、熱烈な男女の関係というよりも、その様に魂でお互いに通じあえる、何か自分をそこに感じる、そして自分がそれに反響して暖められる、という関係です。過去生からの縁ももちろんあります。ただあなた方の場合、過去生の縁が大きいというよりも、あるにはあったのですが、むしろもっと本質となるものは、非常に相似通ったパターンを経て、魂の歴史を歩んできた者同士だから共鳴し合って、すぐ心が通じ合えて、暖めあえる、そして何かほっとする、というところです。
 自分がそこにいて自分が補強されるから、何か非常に安定してくるというところです。何故なら、あなた方二人とも、何か一人でいるときははしゃいでおっても、何か物足りなさや空しさをもって普段生きているからです。そこで二人が出会うと、何か自分が自分で暖められる思いがする、自分が安定すると感じるからです。ちょうど自分の魂の片割れを見出した時に感じる様にです。
 何よりあなた方がお互いに相手に感じるのはフィット感です。非常にピッタリくる、抵抗がない、同質のものを感じる、非常になじめる、自然である、お互いにいて無理がない、そのようなフィット感です。多くの人はこのようなものを失ってきています。それがアイデンティティーのクライシスになっているのでしょう。あなたは割とそのようなものがない方ではあります。それでもあなたも現代特有の精神的危機というものから免れるのは難しく、そのようなときにその女性はあなたの魂の憩いの場として、魂を共通の基盤に乗せることのできる、そしてお互いに暖めあえる者同士なのです。
 過去生からの経歴そのものは同じでないにしても、何か非常に相似通ったパターンというか経路を経てきている、類似性はとても感じさせる二人です。実際に過去生で会っていたのは、エジプトの時と、ローマ帝国での人生と、日本の鎌倉時代です。やはり魂の兄弟同士であった、というところでしょうか。これからもそのような関係でいくでしょう。でも割とお互いに尊重しあって、お互いに以心伝心で相手の心が分かりあえるので、束縛なく自由にいくでしょう。

質問6:私に合った瞑想法を教えてください。

ソース:光を見る瞑想法がよいでしょう。光の渦が見えます。光のトンネルが見えます。グルグルと旋回しており、ちょうど針金をずっと巻いていった円の筒の様なものです。これが針金の代わりに光の渦になっているのです。一つの色の光で出来ているのではありません。非常にカラフルな光の円筒です。円筒といってもまっすぐではなく、歪んでいるというか、非常にユニークで、自由な動きをしています。つまりとまっていないのです。そしてそこをあなたが昇っていっているということです。
 この光の渦で出来たトンネルは、やや上昇カーブを描いています。あなたが歩いて昇るのに無理のないカーブです。あなたの身体が入って、立って歩けるぐらいの広さです。つまり直径2メートルぐらいでしょうか。そこをあなたがずっと光に助けられながら、その中を上昇していっているのが見えます。その中は光で充満しています。あなたは光のシャワーを浴びながら、気持ちよくそこを昇っています。光のシャワーを浴びて、ちょうどその筒の中は光に満ちていますので、ちょうど光のお風呂に入っているような気分です。とても気持ちがよく、リフレッシュします。
 どんな光が飛び出てきても構いません。固定しないのがあなたには良いでしょう。その時その時あなたに必要な光が、そこに飛び出してきます。そしてその都度あなたは、その光のシャワーを浴びて、あなた自身がリフレッシュし、あなたの光の身体を整えていくのです。そのようにして上昇し、上へと引き上げられながら、あなたがそのトンネルをずっと潜り抜けて行くと、本来のあなたを取り戻していく、この様な光のお洗濯のための装置です。
 この瞑想法がひとつ、あなたに適しているでしょう。そのトンネルの長さは、長くても短くてもいいのです。たとえばあなたがある時、3分ぐらいの瞑想を要するとしたら、3分かけてそこを通り抜けるぐらいの長さのトンネルでいいのですし20分ぐらいしっかりと瞑想する必要がある時は、20分かけて通り抜けられるぐらいの長さのトンネルであれば良いのです。そしてあなたはいつでも中断したり終了したりできるのです。
 ある意味で、この光のトンネルというか筒は、あなたの脊椎骨に組み込まれているものです。スシュムナー管です。あなたは背骨を通って、一番下から一番上の頭頂まで、ずっとトンネルを駆け抜けて行くでしょう。ミクロのあなたが、そのあなた自身の脊柱を昇り降りして楽しめば、あなたは光の身体をまとうようになるのです。そしてその行き来は、全くあなたの自由です。あなたのトンネルだからです。意識は自由であるのが最大の特徴です。そして喜び、微笑み、朗らかさ、あどけなさなどを宿しているものです。
あなたはこの様にして自己を再調整し、本来のあなたを取り戻していくことでしょう。あなたがあなたになって、本当のあなたを生きられれば、世の光となるでしょう。キリストが「世の光である」と言われたように。

リーディングを終了します。           

<ありがとうございました>

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